「見えるようにしてくださる」  06.09.10
                   マルコ8:22〜26

 イエスさまは、私たちの信仰の目を開き、救いの世界を見えるように
してくださいました。それは大きな幸いです。救いの世界に目を注ぐ
ことで、落胆せず、希望を持って生きる力が与えられるからです。
 パウロは「見えないものに目を注ぐ」(Uコリント4:18)と言います。
 それは、信仰の目によってしか見えない救いの世界です。そのような
救いに目を注いでいるゆえに、パウロは肉体の衰えや苦しみを経験
しながらも、「わたしたちは落胆しません」(Uコリント4:16〜17)と
言い切ることができました。

 イエスさまによって、一人の盲人の目が見えるようになった場面です。
 ここには、信仰の目を開いていただいた私たちの姿と、そのために
手を差し伸べてくださったイエスさまの姿も描かれています。
この盲人は、人に連れられてイエスさまの所に来ました。自分が
望んだのではありません。彼は、イエスさまがどのような方であるかを
知らなかったようです。
 しかし、イエスさまは、そのような者と一対一で向き合おうとされます。
手を握り、他の人から引き離して、ご自分と向き合うようにと、
引っ張っていかれます。そして、治療のために傷口につばを塗るかの
ように、盲人の見えない目に触れられます。そっと、しかし丁寧に触れて
いかれるのです。その手には、救いへ導きたいという心が満ちています。
愛する思いが一杯込められています。その手に撫ぜられて、少しずつ、
見えるようになっていったのです。

 私たちの信仰の目も、最初から見えていたのではありません。
イエスさまが、そのように触れてくださったからこそ、見えるように
なったのです。
 私たちは、イエスさまに手を握られ、触れていただいたのです。
弱さゆえに信仰の目が曇ることもあったでしょうが、その度に、
共に歩んでくださっているイエスさまに触れていただき、目を
開かれながら歩んできました。

 また、これからも、触れていただきながら、救いに目を
注げる者として、落胆しない歩みを続けられるのです。